ある日、十数年ぶりに私は未来予想をしてみた。
なんてことは無い。
ただ、白紙の紙に向かってこれからの自分のことを考えてみたんだ。
10歳のころ。まだ小学生だった僕は『宇宙飛行士になりたい』と
そう、作文に未来予想をかいたんだ。
まだまだ、あどけない夢にあふれていたんだ。
14歳のころ。中学生だった俺は『科学者になりたい』と
そう、文集に未来予想をつづったんだ。
夢をもって未来へと走っていたんだ。
18歳のころ。高校生だった俺は『技術者になる』と
そう、教師に未来予想をかたったんだ。
ただ、漠然と未来へ向かって歩んでいたんだ。
25歳のころ。社会人だった俺は『出世をしたい』と
そう、後輩に未来予想をかたっていたんだ。
ただ、漠然と日々の日常に忙殺されていただけの日々だったんだ。
そして、今、40歳を越えて、私が思うこと
―――未来予想―――
絶え間なく流れていく中で、すでに未来への夢、希望
それは流れ落ちる水のように時の流れの中に落ちてしまっていた。
私はただいつか訪れるであろう死に向かって
『ただ、健やかに・・・』と日々を過ごすことができたら
―――未来予想―――
だけれども、私『達』の夢、希望
それはいまだ死んでいないのだと気付いている。
それは、今私の傍らに眠るこの子達がいるからなのだ。
小さな子供達の命の中に私の未来予想は詰まっている。
私の子供が書いた未来予想
『僕は大きくなったら宇宙飛行士になりたい』
そう、私の未来予想図はまだまだ続くのだ。